鯖のなれずしの背景

鯖のなれずしが作られるようになった背景は、何といっても、若狭湾の豊かの漁場でしょう。昔から、鯖が大量に獲れる環境にあったということです。

それに拍車をかけたのが、田烏発祥といわれる巾着網漁法です。巾着網漁法の普及により、サバが大量に獲れるようになりました。

巾着網漁発祥の地



当時の田烏区の9割以上の家が鯖巾着網組合の株主であり、豊漁のときは配当金のほかに鯖が50本、100本と大量にもらえたことが、へしこやなれさばが田烏で多く作られるようになった背景にあるようです。また、古くは、奈良・平安時代より、若狭の魚介類は宮廷の食材として畿内に運ばれており、その保存技術が、『鯖のへしこ』や『鯖のなれずし』を産みました。

マップ


若狭湾は、春から秋にかけて暖流の対馬海流により温水魚族をもたらし、晩秋から冬には、南下するリマン海流により冷水魚族の回遊があるなど、寒暖両様の豊富な漁場となっています。

若狭地方は、かつてから漁業が盛んで多くの魚介類が獲れ、古く、飛鳥・奈良の時代から、宮廷に食材を供給した、全国でも数少ない「御食国(みけつくに)」としての歴史があります。

平安時代以降は、「若狭もの」という呼称のもとに、京都の食卓をも支えました。その歴史と伝統は、今も脈々と受け継がれています。千年以上も前から塩や魚介類が若狭から京都・奈良へ送られており、先人は運搬するための保存方法や、腐敗防止のためのさまざまな方法を編み出してきました。

また、魚介類は獲れる時期や量が不定であり、変質しやすい特性を持っています。そのため、獲れた魚介類を無駄なく有効に利用しようと経験に基づく知恵を駆使しながら、腐敗を防ぎ貯蔵性を向上させ、風味を付与する工夫がなされてきました。こうした中で生まれたのが、「へしこ」や「なれずし」であり、冷蔵庫のない時代の夏場でも保存できる風味豊かな食材として現代に受け継がれています。

田烏では、「へしこ」や「なれずし」がほとんどの家庭で作られ、特にサバのなれずしは正月などハレの場には欠かせないご馳走として受け継がれてきました。今ではその数も少なくなりましたが、こうした背景には、明治30年、(1890年)頃からの近代漁業の変遷が大きく影響しています。